今こそ詩を読む時

子供の頃、4人兄弟の長男だったが、なぜか一人でいるのが好きだった。母が心配して近くの易者?を呼んで、「この子は将来どのような子になるのか」占わせた。易者はこんな質問を私にした。「好きな色は何?」私は「紫色です」と答えた。易者が後で母にどんなことを言ったかは聞かせてもらえなかった。私は自分なりに、いいことであれば母は教えてくれたはずだが、きっと良くない結果だったんだ、と勝手に思い込んだ。少し変っていた子供だったのかもしれない。雨の日、縁側のガラス越しに、雨がアジサイの葉の上に降る様子をぼんやり見ていることがよくあった。見ているだけでなんとなく楽しかった。強い雨に叩かれて揺れるアジサイの葉。母は私のことを線の細い子供と思ったことだろう。子供の頃、ノートの端に詩のようなものを書きつけていた。どんな詩を書いていたかは思い出すことができないが、死に対する不安のようなものに苛まれていた、と思う。皆が寝静まっているのを確かめて、夜中にフトンから抜け出して、床の間の前に座り、神がどんな神かも知らずに必死に祈ったことを覚えている。それが暫く続いた。小学生の頃のことだ。

中学、高校は勉強と遊びの方が忙しく、詩を書くことはすっかり忘れていた。もっと頭が良ければ勉強でこんなに苦労しなくてもいいのに・・・。私は真面目な努力家、と言われるのはイヤだった。それでも父母の期待には応えなければならなかった。そして反抗期は大学生になってからやってきた。まさにいつでも遅すぎるのだ、私は。持って行き場の無い気持を受けとめてくれたのが現代詩だった。黒田喜夫、会田綱雄、三木卓、村上昭夫、高野喜久雄、吉本隆明、清岡卓行・・・。外国ではヴェルレーヌ、ランボー、オーデン・・・それこそ感受性の赴くまま詩人達の詩を読んだ。恐らく理解にはほど遠かったことだろう。

自分の感受性を触発し、何か同じものを見つければいい。そんな読み方だった。詩人の中で一番影響を受けたのは村上昭夫、その詩集「動物哀歌」だった。村上の死生観に触れ、私はその永遠性に救われたような気がした。そしてその悲しみの深さにおののいた。

サラリーマン時代、中小企業経営者の時期には詩を読む、ということは無かった。現実の、肉と心を噛むような論理の中で生きている自分に抒情は訪れては来なかった。詩との関わりはその程度だったのだ。そしてシニアになり、人生の残り時間を意識するようになって、詩の方が私の心の扉を叩き始めた。・・・今迄とは違った読み方ができるかもしれない。そんな期待がかすかにある。詩人の魂に私の魂が触れる。それがこの上ない喜びであると同時に深い苦しみと悲しみを伴う時であることを覚悟しておこう。それが人生なのだから。今こそ詩を本当に読む時なのだ、私にとっては。