仕事について

以前このブログでも書いたことだが、「仕事」とは何かをもう一度考えてみたい。仕事という言葉を分解して解釈すると「仕えること」ということになる。それでは誰に仕えるのか。当然相手によって仕えることの内容が違ってくる。日本の封建時代には仕えるとは藩主に仕え、上役に仕える、家にあっては親に仕える、ということになり、藩主、上役には身命を賭して仕え、親には孝養を持って仕える。つまり自分より上位の者に仕えるという意味合いがあった。西欧では仕事・職業はCalling、天の神から与えられた天職という考え方が一般的だ。神の召しに応じてそれぞれ与えられた能力に応じて働き、最終的には神に仕えていく。こちらも上位者に対して使えるというニュアンスがある。

このような考え方と一線を画すのはイエス・キリストの教えだ。イエスは最後の晩餐の席で弟子達の足を洗われた。足を洗うというのは当時は奴隷達の仕事だった。イエスは言った。「主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたも互いに足を洗うべきです」(ヨハネの福音書13章14節)

このような精神を経営トップに伝えるため、日本にもサーバントリーダーシップ協会がある。資生堂の12代目の社長池田守男氏はこの精神に基づき現場で働く人達が一番上に来て、社長が一番下にくる逆三角形の経営体制を取った。

仕事についての考え方は人によりさまざまだろう。私の場合、仕事観はサーバントリーダシップに近いところにあるが、最近では自分が思いを託された過去の人々、そしてまだ見ぬ未来の人々にも仕える、という考え方になってきている。それが、私が仕事をするモチベーションになってきているように最近感じている。できることは限られているだろうし、ささやかなものでしかないと思うが、できることをやれればいい。私の思いを、できたことを託すことのできる人が見つかれば更に嬉しいことだ。