何を理解したら理解したことになるのか

現在のような情報化時代、情報が溢れている。従って何かを理解しようとすれば膨大な情報と向き合うことになる。例えば日本の農村地帯の現状について、多くの本が書かれている。例えば私の机の横には2冊の本がある。

・「農本主義が未来を耕す」宇根 豊著 現代書館

・「アグリ・コミュイティビジネス」大和田順子著 学芸出版社

さて日本の農村地帯の現状について何を理解したら理解したことになるのか。枝葉ではなくメインラインを発見し、理解しなければ、本当に理解していないことになる、ということである。ところでこのメインラインをどのようにして発見するか。それが簡単ではない。日本の農村地帯の現状についてのメインラインは何か。私なりにそれを考え続けている。一方人間についてはどうだろうか。その人を理解するためにはその人の性格、生い立ちの背景を知ることが重要な手掛かりとなる。しかしその人を本当に理解するためにはその人が抱いている使命を理解することが一番重要だという考えがある。使命とは命を使う、命を削ることであるなら、確かにそうだろう。私は常々使命とは私にとって大切な人から託された思いでもある、と思っている。私だけの使命ではない。託され、託していくものだと。私が私自身を本当に理解するためには、私に託された思いを理解すること。最近そんなことを感じている。