作家・高史明そして写真家・鄭周河について

今朝、NHKEテレのこころの時代に作家の高史明さんが出ていた。テーマは「末法の時代を生きる」だった。高さんの作品は以前読んだことがあった。その作品の中で高さんは「やさしさとは何か」を追求されていた。息子さんが自死した痛切な経験から思索の糸を紡いでいた。その時から私も人間にとってやさしさとは何かを考えるようになった。それはやさしくなれない自分との戦いでもあった。さて今日のテレビで高さんの顔、姿を初めてみた。穏やかな、笑みを絶やさない老人の姿だった。その時、なぜか私もそのような老人になりたいと思った。高さんは土に足をつけて生きることの大切さ、今こそそのような体験を持つことが必要であることを言われていた。土に足をつけた生き方、暮らし方。

一方昨日これもEテレだったが福島の原発事故の後の写真を撮った写真家の鄭さんの言葉も重かった。彼は写真に写された風景を共有することの大切さに触れていた。写真展のタイトルは「奪われた土地に春は来るのか」。このタイトルは日本占領時代に韓国の詩人が書いた詩から取られている。その意味で重層的なイメージを喚起する。「春」ということについて鄭さんは韓国語の意味も含めて掘り下げた理解を提示していた。鄭さんは、最期は人間の問題、自分の問題と受け止める。どん底を経験されたお2人の言葉は人間存在の核心から出てきているように思えてならなかった。