個人崇拝について

国際政治を見ると個人崇拝の傾向が出始めているように感じる。北朝鮮の場合は以前からだが、今回中国の全国人民代表大会では、習近平への権力集中、さらには個人崇拝が顕著になった。まるで毛沢東時代を彷彿とさせる。ただ毛沢東時代の場合、周恩来が首相とし一定の力をもっていたので、限界はあっただろうが、文化大革命期を除けば、バランスが保たれていたと言えなくもない。胡錦濤と温家宝の二人は権力的にはほぼ同レベルで改革路線を進めていたようだが、改革は中途半端に終ってしまった。さて習近平。彼は現在の中国が抱える構造的な問題に対する解決を迫られている。そのため突破力を持ち、その力を高めるために権力の集中を図ったと考えられるが、これが吉とでるか凶と出るか。また今回のクリミヤ併合ではプーチン大統領の支持率が70%に跳ね上がったとのことだ。

かつてはアメリカが世界の軍隊、警察として世界の紛争をコントロールし、収拾していたが、アメリカの凋落と共に、世界政治の秩序が変質しつつある。自分の国を守るため、国民は強いリーダを求める。問題は強いリーダーは内政に目を向けるより、外に、つまり侵略的意思を持つ傾向が強いということだ。日本も日本人も身構える時代に突入している。