前田利家は人望の人
鉢形城跡を訪ねて、この城が豊臣秀吉の小田原攻めの時、加賀の前田利家、越後の上杉景勝らの北国軍に包囲され、一月あまりの籠城戦の結果、城主北条氏邦は助命を条件に開城したことを知った。落城後、氏邦は前田利家に預けられて金沢に赴き、囚われの身ながら厚遇されたと、パンフレットに書かれていた。切腹を免れた事情は分からないが、何か秀吉に思いとどまらせる理由があったのだろう。前田利家と言えば、秀吉のバテレン追放令に伴い、キリスト教を棄教することを秀吉から迫られた高山右近のことを想起する。右近も同じく利家に秀吉によって預けられた。右近は秀吉の棄教の命令を拒否。明石6万石を取り上げられ、大名としての所領を失った。秀吉は右近を加賀に流して、前田利家に預け、扶持として米26俵を与えた。前田利家はそのような右近を厚遇し、六千石を与える迄加増した。小田原城攻めの際、右近は出陣に及ばずとかねてから言われていたが、前田勢の武蔵川越城、松山城、鉢形城、八王子城攻めに加わって、懸命に働いた。戦後加増されて二万石の大身になった。今日訪ねた鉢形城に高山右近が来ていたと思うと感慨一入だった。
豊臣五大老の一人である前田利家は包容力のある、温かい心を持った人物だったのだろう。
また秀吉に睨まれることを恐れずに右近、氏邦を厚遇した。小田原攻めに勝利し、次は朝鮮出兵をもくろむ秀吉の絶頂期で、秀吉の権力の前には誰もがひれ伏した時代だった。
今晩長部日出雄氏の「まだ見ぬ故郷㊦」を再読しながら、氏邦のこと、高山右近のこと、
そして前田利家のことに思いを馳せた。