吉野 弘の2つの詩に想う

若い時、現代詩を好んで読んだ。恐らく感覚的な読み方だったのではないか。自分の感覚を誰か詩人が言葉にしてくれているのではないか、そんな主観的読み方で、詩人が伝えようとした本当の意味、気持ちなど分っていなかった。今日たまたま本棚から吉野弘の詩集を取り出しページをめくっていた時、私の記憶に残っていた2つの詩に目が留まった。

一つは「妻に」。もう一つは「或る朝の」だ。いずれも吉野の妻をいとおしむ詩だ。若い時は「妻に」の最後の部分、女の身体に託され、男の心に重さを加える不可思議な慈しみ、の意味が分らなかった。「或る朝の」の最後、彼女の軽やかな白い脛を 放たれて飛び去ってゆく彼女を、が分らなかった。今なら分る、分るような気がする。日々の生活は単調で、ある時は見えない檻となって私達を閉じ込めるが、ある時は平凡であっても救いと喜びを与えてくれる。吉野 弘の妻を見る視線が温かい。