周恩来総理のこと

 

現在神保町の千代田区高齢者センターで野菜栽培教室の講師を勤めさせて頂いている。その敷地に一つの碑が立っている。「周恩来ここに学ぶ」。周恩来がよく通った中華料理店がお茶ノ水の明治大学に行く通りを左に曲がったところにある。私もその店の前まで行ったことがある。さて、私が今周恩来のことを思うのは、もし今の時代周恩来が生きていたら日中関係はどうなっていたか、ということだ。周恩来は不倒翁と言われた。ある時、年配の中国人に聞いた話だが、「総理と言ったら今でも周総理しかいない」。周恩来が亡くなり、毛沢東がマルクスに会いに立ち去った後の中国は鄧小平が後を継ぎ、近代化を進めた。そし天安門事件が起き、趙紫陽が人民をかばったことにより、首相の座を追われた。その頃からか、中国では逆転現象が起こっているように感じられる。人民解放軍が人民抑圧軍へ、「人民に奉仕する」が、幹部に奉仕するへ、日中友好が日中敵対へ、そしてかつてアメリカのことを「張子の虎」と揶揄していたのが、今は中国自身が「張子の虎」に成り果てている。

私がおかしいと思うのは中華人民共和国憲法を正しいと主張すると罰せられるということだ。第2章市民の基本的権利及び義務の中の「国は人権を尊重し、保障する」は中国の人権活動家には適用されないのか。ノーベル賞を受賞した劉暁波氏の宣言はこの延長線上にあるような気がする。なぜ中国政府がそれほどまでに恐れ、弾圧するのか。それは中国政府の脆弱性が極限に迄来ているから、と考えざるを得ない。私は若い頃、日中青年大交流の中で中国に行ったことがある。丁度文化大革命の最中だった。当時文化大革命は「魂に触れる革命」とも言われた。その後林彪事件など激しい混乱もあったが、ずっと中国のファンだった。中国は、今は社会主義国家でさえないのかもしれない。共産党という皮を被った貪欲な資本主義者達の集まり、その史上最悪の独裁国家になってはいないだろうか。高齢者センターの碑の前に立って、「周恩来総理、これがあなたの願っていた中国の姿なのでしょうか」思わず聞いた。日中は友好関係を取り戻さなければならないと思う。歴史認識はマイナスの面ばかりでなく、プラスの面も含めて全面的に行なうというのがフェアーだろう。今でも烏山頭ダムを建設した日本人を敬愛する台湾の人々の姿から学ぶことがあるはずだ。