地方こそ日本を元気にする源

 

今朝のNHK朝のニュースで千葉県のローカル鉄道、いすみ鉄道を取上げていた。累積赤字も来年で完済できるところまで来ている。社長の鳥塚さんは以前英国系の航空会社の乗客乗務員の責任者という経歴の持ち主。大胆な発想の転換をして、いすみ鉄道の再建に取り組んでいる。鳥塚氏の発想の凄いところは次ぎの言葉に表れている。「なにもない」を売り物にする。町おこしにしても、村おこしにしても、何か目玉になるようなものをつくって、人を呼び寄せようとするパターンが多い。あるいは結局なにもない、ということで諦めてしまう。なにもない、は正に逆転の発想だ。私流に解釈すれば、なにもない、ということはとりもなおさず、すべてがある。そのすべてとは地元に集積されている埋蔵資源だ。何かを示すことは顧客に選択の余地を与えず、受身にさせるという問題を生み出す。その結果、次から次へと何かを作ろうとする。それは作為的であり、人工的、一般的なものになろがちだ。宮城県の鳴子温泉、旅館大沼の大沼氏(5代目湯守)は次のように言う。「湯治場が衰退したのは、私たちがお湯そのものの力を忘れ、宴会やカラオケといったありきたりの観光にシフトしすぎたからです。私たちがお湯本来の力を貶め、その力を見失ったのです」。なにもない、すべてがある・・・ちょっと禅問答めくが、観光の一番の目的はその土地独自の光を見る、ということである。鳴子温泉の場合はお湯の力であり、いすみ鉄道の場合は車窓から見える風景、日本の農村、山野の穏やかな懐かしい眺めだろう。昨日「日本の里」(写真 富田文雄 文 井原俊一)を購入した。日本の里の美しさ。魂を揺さぶられるような気持を味わっている。その里で営まれている人々の暮らし。鳥塚氏がローカル鉄道の大きな可能性について熱っぽく語っていた。本当にそうだと思う。私が「サンクスペアレンツー親孝行旅行パック」のビジネスモデルをデザインしてから約3年が経つ。観光の目玉のない、農山村の里こそ、人々が求めている本当の光の溢れたところなのだ。サンクスペアレンツは魂に光と故郷の原風景をもたらす。それを自分で発見する高齢者のための旅行。ローカル線を楽しみ、人生を振り返り、人生の仕上げをする旅になってほしいと願っている。