声は不思議

最近はテレビで落語を聞く(見る?)ことが多くなったが、昔はラジオでよく落語を聞いたものだ。ラジオだから所作は見えず、声しか聞こえてこない。好きな落語家と言えば、先代の金馬と可楽だった。話の内容は横に措いて、私が惹かれたのは2人の声の<良さ>だった。金馬の情愛が伝わってくるような声、可楽の粋な響きの良い声。2人ともまさに名人だった。

私の父は昔私にこう言って注意した。「声ほど正直なものはない。だから電話で話す時は

元気に話すこと。元気が無い声で話すと相手はこの人と取引して大丈夫かなと思う」。確かに声には感情が出る。また「間」をつくることが難しい。

私は人と話をする時、電話が一番苦手だ。緊張している自分に気が付くからだ。

電話をかけるとある会社の秘書の女性は会社名を名乗る前に「阿部さんですね」と言ったりする。声とは単なる声帯の振動のはずなのだが、そこまでの表情、特徴がどのようにして声に表れてくるのだろうか。声帯と気持ち、精神はどのようにつながっているのだろうか。また齢をとってくると声帯も齢をとり、かすれ声、しゃがれた声になるが、齢をとっても艶のある声、深み、渋みのある声を維持している人もいる。特に古典芸能の世界に生きる人達はそうだ。

恋は不思議、・・・ではなく声は不思議だ。