失ったものを取り戻して、未来に向う

私も日本経済と同じように「失われた年月」を経験している。日本経済の場合、それは「20年」だったが、私の場合は「10年」くらいだろうか。その10年間、自分に合った仕事を探して、いろいろな仕事をしたが、結局は「自分に合った仕事がきっとあるはずだ」という思い込み、願いという藁の筏に乗った「漂流」だったように思う。漂流期間は今となってみればそれなりに意味のあった期間だとは思うが、やはり時間的、経済的損失は少なくなかった。因みに安倍首相は失われた20年で50兆円の損失があったと言っている。日本のことは別にして、私自身、今それらを「取り戻そう」という気持ちになっている。なぜそのように思うようになったか。一言にまとめれば「悔しさを前に進むエネルギーにしたい」ということになるだろうか。「それなりに意味があった」とこれからの人生で本当にそう思えるようなことをしなければならない。肥料を実に結実させたい。

悔しさとは自分に対する悔しさだ。このあたりの感情はちょっと複雑なのだが、要は「失敗からトコトン学び、二度と同じことをしないという決意の元に本当の自分らしさを発揮しよう」ということになる。自分という人間の性格、モノの考え方、自分がどこまで物事を深く考え、行動することができる人間なのか、それを確かめるために、このようにして毎日毎日、自分に関りのあるテーマを選び、文章にまとめ、ブログとしてアップしているのだ、ということに最近気付かされた。それにしても自分を知るということがこんなにも大変で、かつ刺激的なことであるとは思わなかった。自分ができることについては身の丈、限界があることを認めるという「積極的な諦観」を弁えておくことが大事だが、自分自身については、自分の価値については「諦観」を持たず「楽観」を保持したい。自分を信じる、と言い換えても良い。他人と比較する必要はもう無いのだ。

これからもう一花も二花も咲かせたい。底力をいよいよ出す時だ。悔しさをエネルギーに変えて、しかしもっと透明な明るい気持ちで、これからの人生事業に取り組み、完成させていきたい。人生は最後迄ベンチャーなのだから。そして次の世代にバトンタッチしていこう。