安保法案の参議院で審議

安保法案が可決される模様だ。今回の法案に対する私自身の立ち位置は中立と賛成の中間になるのではないかと思っている。政治的にはデモにも参加しないいわゆるサイレントマジョリティに属するが、声高ではなく、少し呟いてみたいと思う。因みに家内は反対。夕食の後私の考えを家内に話したところ、ちょっと気まずい雰囲気となったので、政治について語ることは難しいことだな、と思わず感じた次第だ。

今回の論点は3つあると思っている。私のつぶやきも加えてコメントしたい。

1.冷戦以降の日本の対米従属路線から主体性のある路線へ

アメリカ軍が強力な軍事力と外交力で日本を守ってくれるという安心感が結果的にアメリカに対する依存姿勢を強めてしまった。これは政府と国民に共通した意識ではないだろうか。依存は従属に堕していく。

従属から主体性を持った姿勢に転換していくためには、どのような意識を持つべきななのか、どのような覚悟が求められるのか、どのような努力とコストと犠牲を負担しなければならないのか、国民レベルでも議論し合うことが大事ではないか。

2.国際環境の変化に対する軍事力と外交力のミックス

一番大きな問題は中国の軍拡傾向だ。また北朝鮮の先軍主義もそうだ。特に中国の軍事的脅威は国際法を踏みにじる段階迄来ている。地政学的には両国とも日本に隣接している。いざ事が合った場合日本単独で対処、対抗するには限界がある。ただこの場合、日本は米国と一緒になって軍事的に対抗するのではなく、可能であれば国連軍の一部として行動すべきだろう。「日本の侵略戦争」と相手に言わせてはならない。軍事行動は、いつどこで勃発するか分からない。その場合は「集団的自衛権」に基づき行動せざるを得ないだろうが、あくまで「自衛」に徹し、例えば米国にズルズルと自衛以外の戦場に引きずられていくべきではない。これが現在の自民党政権にできるかどうか、一番大きな懸念材料だ。家内は「それは無理よ」と断言している。やはりここが肝だ。

3.憲法9条の遵守は日本国民のためでもあり、東南アジアのためでもある

私は改憲には反対だ。憲法9条は日本が世界で、特に東南アジアでこれからも生きていくためには絶対必要と考えている。この9条は、日本は戦前の日本帝国に戻ることは決してない、という証でもある。9条は東南アジアに対する先の戦争への心底からの謝罪でもあり、痛烈な反省でもあり、誓いでもある。