家族という共同体

よく家族的雰囲気、家族的団結とか言う。そこには家族は損得、理屈を超えて助け合うという意識があるようだ。今年の大ヒット番組「半沢直樹」の中で、マニラへの転勤を命じられ、マンションを引き払う際、浅野支店長は奥さんに「迷惑をかけた、済まない」と謝る。それに対し、奥さんは笑顔で答える。「迷惑かけたっていいじゃないの、家族なんだから」と。この言葉に浅野支店長は初めて家族とは何かを実感したようだ。テレビを見ている私たちも安心する。私たちは家に帰るとホッとする、というようなこともよく言う。しかし、一方で家族ほど難しいものはないとも思う。なぜなら家庭では良い面も悪い面もそのままむき出しになってしまうからだ。というより外では隠していても家では隠せない。そのまま出てしまうのだ。家庭の元は2人の結婚だ。それぞれ異なる個人的性質・性格を持った赤の他人が一緒に生活し、苦楽を分かち合う夫婦となる。こんなはずではなかったということでお互い喧嘩もあることだろう。

昔はそのような夫婦喧嘩をしても地域共同体の中でそのような夫婦を温かく包みこむということがあったのではないか。夫婦の先輩として自分達の喧嘩と仲直りについて話してくれたり、ある時は犬も食わない喧嘩の仲裁に入ってくれたりと。戦後核家族化が進み、家族を支える大家族、さらには地域共同体も消えていった。このような状況変化が日本の家族にどのような影響を与えているのか、個人主義の浸透と共に、私は日本の家族のあり方に不安を覚えている。