対話について

 

人が言葉を使う場面は多様にある。一方的に話すこともあれば、会話のように相互的なコミュニケーションの形態がある。今日のブログで取り上げるのは「対話」だ。対話は会話とダブル部分があるが、やはり別の形態と考えたい。それでは会話と対話はどう違うのか?

私の考えはこうだ。会話はお互い心の扉を開くことを必ずしも必要としないが、対話の場合はお互いに心の扉を開くことになる。人間にとって心の扉を開くということが簡単ではないし、またそれなりに抵抗もある。あまりしたくないことだとも言える。心の中を覗かれることに対する警戒心があるからだ。従い対話には信頼感が不可欠であるし、また上下関係ではなく、対等な関係も求められる。従い最初から対話が成立する、という訳にはいかないだろう。精神対話士という仕事では最初から「対話」の心構えで臨んでいくとのことだ。大変な仕事だ。クライアントを「100%、あなたの心の味方として、あなたの気持を支えます」というスタンスで「すべてを受け入れ、共感しつつ、しかし平常心でいることが求められる。精神対話士とは異なり、私たちが対話をするためには、やはり会話の積み重ねということになるだろう。会話をしながら、この人であれば、もう少し内面的なことを話しても受け止めてくれそうだとなると私たちは心の扉を少し開ける。もっと開けるようになるか、そこで止まってしまうかはケース・バイ・ケースだ。私たちは会話の友を求めている。そして、その中でも対話の友を求めている。もう少し対話ということについて考えてみたい。