小さき者、虐げられた人々と共に

 

現在世界を覆っているのは資本主義、資本主義的精神だ。資本主義は一言で言えば資本の自己増殖活動を特徴としている。原理的にはこの資本の増殖活動にブレーキをかけるものはない。資本は人間を道具化し、際限の無い自然破壊をもたらす。この資本主義に対抗する経済体制として社会主義経済が現れたが、ベルリンの壁崩壊と共に実効性を失っていった。資本主義は米国に渡り、マネー資本主義に変貌し、また資本主義を成立させた市民社会の社会倫理を持っていない中国は、人間の本能丸出しの奇形化した資本主義を生み出している。現在資本主義に対抗する経済思想は存在せず、資本主義はあたかも最高の経済体制であるかのようだ。資本主義は言う。「現在の世界の繁栄をもたらしたのは私だ」と。しかし資本主義社会の原則は仮借のない競争だ。競争に敗れたものは社会の片隅に排除される。どのような時代にも虐げられた人々はいた。大きな者に対して小さき者がいた。現在の資本主義に替わるもの、あるいは乗り越える経済体制は可能か。あるいは資本主義の改良しかないのか?-これが現代に生きる私たちに問われている最大の問題の一つではないだろうか。社会主義社会(ソ連、東欧)の崩壊により、世界は東西冷戦時代とは様変りして、一つの経済圏に統合された。政治的には世界政府は遠い将来のことかもしれないが、世界経済と呼んでも良い体制はすでにある。中国、北朝鮮、キューバなど政治体制は独裁的な「社会主義」だが、遅かれ早かれそのような政治体制は崩れ去っていきだろう。次のあるべき経済社会が見えて来る迄、長い試行錯誤が続くだろうが、その際、社会の中の小さき者、虐げられた人々が新しい社会への導き手になるかもしれない。そのような逆転があると私は信じている。だからこそ、現代に生きる私たちは小さき者、虐げられた人々と共に生きることを通じて、新しい時代、体制を拓く鍵を見つけていかなければと思う。