小林 正観氏の心学

 

以前同氏の著作「ただしい人からたのしい人へ」という本を、その題に惹かれて本屋の棚から抜き出し、立ち読みした。読んでびっくりした。どうも次元が違う、キチンと読んでみなければならない。そう思って購入し、その日のうちに一気に読んだ。氏は現象はすべてゼロ(中立=ニュートラル)と考え、自分のとらえ方で「修行の場」になったり、「喜びの場」になったり、「感謝の場」になったり、どのようにとらえるかは自分の自由であると言う。また「正しい」という価値基準ではなく、それをやることが「楽しい」のかどうかということを物差しにすることを勧めている。人の間に生きている「人間」としては、自分がいかに目標に向かって歩み、それを達成するか、ではなく、いかに喜ばれる存在になるか、それは取りも直さず、「いかに頼まれやすい人になるか」・・・という言葉に接した時、目から鱗が落ちるような感じさえした。人は確かに頼まれやすい人に頼むものだ。この本の内容には正直に言って強い衝撃を受けた。今迄と全く異なる世界に足を踏み入れたような感じさえした。そして昨年本屋で偶然氏の新しい著作「豊かな心で豊かな暮らし」を見つけたので、手にとってみていつものようにまえがきを読んだ後、あとがきを読もうと思って開いたページに辞世の歌が載っていた。まえがきは亡くなる6日前に書かれたものだった。

「我が形見 高き青空 掃いた雲 星の夜空に 日に月に 小林正観」2011年10月12日 永眠。63歳の若さだった。この最後の著作で氏は「うたし焼き」の窯元になることを提案している。嬉しい話、楽しい話、幸せな話、役に立つ話、興味深い話の頭文字をとったものだ。

氏は周りの人から喜ばれる存在になることを人生の奥義と考えた。私もある意味で人生の転機に来ている。もう一度気持を新たにして氏の著作を読み、実践しよう。そう思わされている。