幼児性を持った大人の社会

最近電車広告で目につくのは「大人の・・・」だ。大人の女性、大人の男性。自分のスタイルを持っていて、社会人としても弁えるべきことを知っていて、それができる。酸いも甘いも噛み分ける。清濁併せ飲む。大人のイメージとはそんなところだろうか。ところが最近幼児性を持った大人が増えているような気がする。勿論大人の人格の中にも幼児性といったものがあるが、本人がそれを意識していれば別に問題ではないが、意識していない大人がいる。自分の欲求を優先し、自己主張が強く、勝手な行動をして、失敗すると反省せず、人のせいにして責任を取ろうとせず、直ぐばれるウソをつく。感情の起伏も大きい。相手の立場に立って考えるということができない。簡単にできることではないのに、簡単にできると思いこむ。まだまだ幼児性の特徴は挙げられることだろうが、幼児性の強い大人はまことに厄介だ。またそのような大人が幼児性を克服できないまま、さらに齢をとるとどういうことになるのだろうか。

未開人の社会では大人になるための儀式、イニシエーションがあるが、いわゆる先進国の社会でそれに相当するものがあるだろうか。例えば日本の場合、昔は仕事が一人前に出来、世間での務めも立派に果たせるようになって初めて大人と認められた。特に後者が重要だった。しかしながら終戦後、世間での務めという部分が等閑視されるようになってきている。これは都市におけるコミュニティの崩壊、消失も関係していることだろう。

大人になってから自分の幼児性を克服したいという人が少なくない。私は心理学の専門家ではないが、一人の人格の中には、幼児性、少年性、青年性、中年性、老年性が階層になって全体でバランスをとっているのではないかと考えている。そして後のものが前のものをコントロールする、と。つまり幼児性をコントロールできるのは少年性であり、少年性をコントロールできるのは青年性、ということになる。従い老年性はそれ以前の全てをコントロールする。老年性の重要性がここにもある。

ある会社の社長さんのご葬儀に行った際、参会者の一人がこんなことを言っているのが耳に入った。「B社長は本当に立派な人だった。そしてそこはかとなく少年のような部分も残していた。それが魅力でしたね」