徒然草・兼好法師の凄さ

このブログのタイトルとして、「ビジネスモデル徒然草」としたのはあの有名な兼好法師の「徒然草」にあやかってのことだ。冒頭はこうだ。

「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるおしけれ」

毎日ブログを書いていると少しづつ兼好法師がここで述べていることの意味がわかってくるような気がしている。ところで後半の「あやしうこそものぐるおしけれ」とはどのようなことなのだろうか、と私などは考えてしまう。以下のような解釈がある。

○『ふしぎなほど、いろいろな思いがわいてきて、ただごとではないような感興を覚える』

○『妙に気が変になるような感じがする』 ○『自分ながら妙に感じられるほど――興がわいて来て――何だかものに憑かれたやうな気さへして筆を進める』 ○『ふしぎなほど、いろいろな思いがわいてきて、ただごとではないような感興を覚える』 私としては3番目の「何だかものに憑かれたやうな気さへして筆を進める』の解釈をとりたいと思う。というのは書くという行為、それを毎日行なっていると書くことによって気付くこと、発見できることがあり、それが些細なことであっても貴重なことのように思えてくる。更に言えば見るべき対象物によって私自身が書かされている、という感じだろうか。それが憑かれていると言えば、そうかもしれない。

私自身は「徒然草」は「ヘタな人生論より徒然草」荻野文子著で読んでいる。(河出書房新社)荻野氏によれば兼好法師はその時代には珍しく「合理的で論理的な思考」の持ち主であり、かつ物事を多面的にとらえる「複眼的な思考」も兼ね備えていたとのことだ。

私は今朝、読んでいて第108段から教えられた。兼好法師は時間についてシャープな感覚を持っていた。

「だから、道に志のある人は、遠い将来までの月日を惜しんではならない。ただ目前の一瞬が、むだにすぎることを惜しむべきである」