徳川幕府の支配体制・そのビジネスモデル

 

現在屋上菜園のHPで時代小説を連載している。これから御料地(天領)の農業建て直しのところを書く予定だが、念頭にあるのは徳川幕府の権力の源泉はどこにあったのか、という問題である。言い換えれば織田信長、豊臣秀吉の織豊政権の権力のあり方とどこが共通していて、どこが異なっていたのか。この権力の源泉が非常にしっかりしていたが故に270年間幕府が続いたとも言える。さらにこの権力の源泉を明確に理解し、組織化した人物は誰なのか、という問いも続いて出てくる。家康が基本的骨格をつくり、二代将軍の秀忠がそれを肉付け強化し、三代将軍家光が完成させたのだろうか。勿論それだけではないだろう。将軍を支えた参謀的人物なくしては磐石の体制づくりは出来なかったのではないか。また行政的手腕に長けた官僚的人材も多くいたのではないか。さて徳川幕府の権力の源泉について、私の素人考えはこうだ。それは経済力であり、400万石以上と言われる御料地だったのではないか。家康は秀吉が莫大な経済力で大名達の上に君臨している姿を見ていた。戦さも結局は経済力がモノを言うのである。私の時代小説では御料地の桑名44村が舞台だ。徳川幕府の金庫である御料地の経営について、この舞台の上で考えながら探っていきたいと思っている。