徳川2第将軍秀忠の権力構想
現在書いている時代小説「欅風」の時代背景は家康亡き後の2代将軍秀忠の治世だ。秀忠は真田の上田城攻めに手間取り、関が原の戦いに間に合わないという大失態を犯した。また大阪冬の陣、夏の陣でもさしたる戦果を上げていない。その意味では戦場の武将としては名将とは言えないが、家康が敷いたレールの上を踏み外すことなく進み、徳川政権の権力基盤を不動のものにした、という点では非常に優れた為政者、2代目ということができるだろう。恐らく家康は守成の政治を行なう者の資質、強力な官僚機構をつくる能力が秀忠の中にあることを見抜いて秀忠を鍛えたのだろう。秀忠は確かに守成の人であったが、怜悧さを持っていた。その怜悧さの行使がやや過度になるのは彼自身の武将としての弱さから来るコンプレックスがなせるワザではないかと私には思われる。秀忠の場合「見せしめ」的なケースが目立つ。一方秀吉の息子である秀頼も秀吉の頭脳を引き継いでいるから、きっと頭は良かったのではないかと思うが、戦場経験もなく、また政治的な修羅場の経験もなく、まさに温室で育てられてしまった。今回秀忠のことを知りたくていろいろ本を探したところ、百瀬明治氏の「徳川秀忠」を見つけることができた。この本は小説だが、歴史的事実も当然のことだが、紹介しているので、大変参考になる。秀忠が徳川政権の礎をどのように築いたのか、彼のブレーンも含めて更に知りたいと思っている。