怒る、叱る、注意する

私たちは人の足らざるところ、雑なところ、相手のことを考えない独善的言行に対して、怒ったり、しかったり、注意したりする。いずれも当世風に言えば上から目線の対応かもしれない。怒るもしかるも注意するもそれぞれつながっている部分がありそうだが、私は「しかる」というのは怒ったり注意することとどこか違うところがあるように感じている。これは私の思い込みからしれないが、「しかる」にはしかる側にどこか相手に対する愛情を感じる。愛情を持っているからこそしかる。もう一つは最近加藤武氏のエッセイを取り上げ、加藤氏が文楽を見ている時に竹本住太夫にしかられていると受け取ったところに触れたが、私は屋上緑化の施工をしている時、ここは資材にしかられているな、と感じた。「そんな雑なやり方ではなくもっと丁寧なやり方をしてほしい」と材料から言われてような気がした。これを私はしかられたと受け取った。ここで材料から「怒られた」とか「注意された」と受け取ったら、私の気持ちはどのように反応しただろうか。「しかられた」と思うことによって私の心は平穏だった。