悲しみへの耐性

現在放送中のNHKの朝の連続ドラマを見ている。一馬が赤紙を受け取って戦地に赴く。恐らく一馬は戦死することになるだろう。一番辛く、悲しい思いをするのはエマだろうが、一馬の家族の父熊虎、姉ハナ、そしてマッサン、エリーの悲しみも想像にあまりある。これからこのドラマを見るのが日を追って辛くなりそうだ。そして私は思うのだ。人は悲しみに耐性を持つことはできないのではないか。いや人生経験を重ねれば重ねるほど、悲しみに対する感受性は深くなるのでないか、と。と同時に人はどんなに悲しくても、悲しみを抱きながら、生きていかなくてはならない。人は特に死別というような悲しみを経験した時、死者との、返事の返ってこない会話を一人続ける。しかし、悲しみのどん底にいても人は食べ、眠らなくてはならない。そして死者が自分の心の中に今や棲んでいる、という思いを確かに持つことが出来た時、人は本当の意味で悲しみと向き合うことになる。その時、自分の悲しみだけではなく、自分に関りのある周囲の人々もそれぞれの悲しみを心の深いところで抱きしめながら、日々を生きている、ということが見えてくる。

私も父親の一人として一馬の父、熊虎の心に自分の気持が寄り添っていく