意識・魂・死後の世界(2)

科学者の間でも魂の存在については意見が分かれる。認知科学者のダグラス・ホフスタッターは肉体が滅びても魂は残ると考えている。脳科学者で医師のエベン・アレグザンダーはこの世の外にも素晴らしい世界があると確信している。ホフスタッターは愛する妻を脳腫瘍で突如失った。彼は妻の魂をどこかに残しておけないかと考えた。アレグザンダーは臨死を体験した。一方神経科学者のジュリオ・トノーニは肉体が滅びたらそれで終りで、魂と呼ばれるものもなくなると考えている。唯物論的考え方だ。それぞれの意見にはそれぞれの洞察と主観的根拠がある。以上より魂とは何か、を私なりに考えてみる。魂とは自己認識であると同時に、愛する者とともにいつもあるもの。愛する者と響存するもの。分かり易い例としてNHKの朝のドラマ「マッサン」の最終回でマッサンがエリーの残した手紙を読む。エリーはもういない。手紙の最後のところでエリーはマッサンに伝える。「マッサンには見えないかもしれないけど私はいつもマッサンの側にいる。だから寂しがらないでね。ありがとう、おおきに。あなたの愛しい妻エリー」と。手紙は魂の形式の一つなのかもしれないと思う。先述のホフスタッターはショパンのピアノ曲の楽譜を見ながら、この楽譜の中にショパンの苦悩と喜びが表現されていると言う。私の憶測だが、ホフスタッターの妻はショパンのピアノ曲を愛していたのではないか。魂は自己認識であると私も思うが、他の魂と響存するところに本質があるのではないか。それぞれの形式で人は魂の形式を産みだす。曲であったり、詩であったり、小説であったり、事業であったり、料理であったり・・・。それは皆、魂の形式なのだと思う。歴史書を通じて私達は1000年以上も前の人と心、いや魂を響かせ合うことができる。

竹鶴政孝さんとリタさんのニッカウヰスキーという魂の形式が今回脚本家の羽原大介氏の

魂に響き、「マッサン」という脚本が生まれた、と私は思う。偶然ではない何かがある。

私は魂の不滅を信じている。それは将来量子論が解明してくれるのではないかと思う。現在開発中の量子コンピューターは量子に情報を記憶させる。私達の身体は滅びても魂は量子となってより多くの人の魂の中に散らばり、広がっていくのではないだろうか。

このドキュメンタリーを見ながら、この世に生きることの素晴らしさを感じる。マッサンのエリーの言葉に加えれば、人生はアドヴェンチャーであり、人生は自分の魂の形式を通じて人とつながり、過去と未来を往還し、宇宙へとつながる片道のネットワーキングジャーニーであると。