感動を基準にして生きる

 

今日一日を振り返って自分は何に感動したか、感動するようなことがあったか、振り返ってみる。私はいつしか感動を体験することが、人間が生きている価値ではないかと思うようになった。感動の基準はその時その時で違うので、大きな感動も小さな感動も含めて、沢山の感動体験をしたいと思う。今日の朝、北千住ルミネに行き、屋上菜園の様子を見た。この寒い気候の中、スナップエンドウが芽を出し、ナバナも芽を出していた。植物の生命力には本当に感動する。私は野菜栽培を始めてから既に10年以上になるが、野菜の生きる姿に感動したことは数え切れないほどある。私は野菜から食べ物だけではなく、沢山の感動を頂いている。それは心の食べ物だ。

昨日は弟の引越しの件でお世話になっている不動産会社の担当者の話と仕事に取り組む姿勢から大事なことを教えられた。彼は仕事とは愛だと言い切っていた。仕事を機械的にこなすのではなく、どんなに小さな、あるいは嫌な仕事でも愛を込めてやっていく、それが彼の仕事観ということだった。不動産業界も非常に競争が厳しくなってきているので、弊社の社長は社員がいくら儲けたかよりも、社員がお客様から「お宅の社員は親身になってやってくれますね」と褒められることを第一にしています、と話してくれた。「そうでなければこの仕事は続けられない」とも。

夜に、友人のTさんと電話で話した。彼は私の過去10年間の歩みを知っている。念ずれば花開く。是非来年は花開かせてください、と心のこもった励しを頂いた。

人生もそうだが、仕事も究極的には感動体験の多いか少ないかによって左右されるのでは

ないだろうか。感動できる心を持つこと、また沢山の感動と喜びを多くに人に提供していくこと、それを日々の目標にしていきたいと思わされている。