成熟社会のイメージと経済学

 

成熟社会では生産力の増強よりも、蓄えた生産力をいかに活用し、生産の結果生み出した富をいかに公平に分配するか、が重要になる。以前から成熟経済、あるいは成熟社会とはどのようなものか、考え続け、ある程度のイメージを私なりに描き、このブログにも書いたが、経済学的に定義するところまでは行かなかった。そのような問題意識を持っていたとこに、本屋に行った時、「成熟社会の経済学―長期不況をどう克服するか」(小野善康著)が目に入った。早速、概要を掴むために立ち読みスタイルで速読をして、これはじっくり読みたいと思い購入した。この本を買い、読もうとも思った伏線になる本があった。それは「経済成長という病―退化に生きる、我ら」(平川 克美著)だ。平川氏の思い、敢えて言うなら提言が私の思いの底をずっと揺蕩っていた。ちょっと長くなるが引用したい。「もし日本の社会というものが既に成熟期を迎えており、経済成長の糊しろが薄い<定常状態>に向かっているのだとするならば、経済成長を前提とした国家戦略も企業戦略もこれから先、現実との乖離を大きくしていくだけであり、その乖離を埋めるための無理を重ねるということになる。・・・成熟こそ私たちが若さと引き換えに得た、貴重で信ずるに足る資産だからである。成熟した未来図を成熟した大人が描く」(P234~235)ならば成熟した大人とはどのような人なのだろうか。その答えの手がかりが小野氏の「成熟社会の経済学」にありそうな予感がする。そして稼ぎと務めを大切にした江戸時代の商人に。