戦争を終らせることの難しさ

歴史は戦争と平和の間を揺れ動いていると言っても過言ではないだろう。今、この時もどこかで戦争が行なわれている。戦争は勝った方も負けた方も人的、経済的、政治的コストを支払うことになる。バルチック艦隊を撃滅した日本海海戦のような特別なケースは別にして戦争は双方に大きな傷跡を残し続ける。言い換えれば、人類は今に到るも戦争の愚かさを乗り越える理性と知恵を十分に持ちえていない。戦争で家族を失った人の悲しみ、痛みと記憶は生涯続き、子供達にも語り継がれていく。

今回玉音放送をめぐる一連の出来事を新聞等で読むとまさに昭和天皇のご聖断が無ければ、日本は本土決戦となり、最終的に日本はどのようになっていたことか。以前雑誌で読んだことがあるがご聖断のための根回しをした鈴木貫太郎首相のことを思い出す。昭和天皇が終戦内閣として鈴木に首相になってくれるようにと懇願したようだ。

千葉県関宿町に鈴木貫太郎記念館がある。茨城県の八千代町で畑を借りていた時、この記念館の前をいつも通っていた。

今改めて思うのは日本をロシアから守るためにバルチック艦隊を撃滅した東郷司令長官だけでなく、日本の戦後のための終戦という幕引きを、身命をかけて行った鈴木貫太郎元首相の功績にも目を向けるべきではないか。