挫折の意味・今になって分かること

これからの時代を変えていくのは優等生的リーダーではなく、挫折を乗り越え、修羅場を

くぐってきた人間だと、産業再生機構で活躍した冨山和彦氏は言う。「そんな人間になるには、失敗を恐れず、挫折を経験してみればいい。その経験が挫折力になり、壁をぶち破る力となる。『挫折する』ということは裏を返せば『挑戦する』ということである」(「挫折力」PHPビジネス新書)一読をオススメしたい本である。

私自身も人並みに多くの挫折を経験した。勿論死にたくなるような絶望感も経験した。

今までの曲がりくねった道を振り返ってみると、挫折経験を通じて私なりの価値観の転換があった。ここでは詳しくは触れることはできないが、まだ100%という訳にはいかなが、「苦しみにあったことは私の人生にとって幸いなことでした」と言うことができる。そうでなければ、私は今の私になることができなかった。いや本当の私になるための道を見つけることができなかった。本当の私は、山の頂きから自分の人生遍路を振り返る時、分かるのだと思う。なぜならこの世の死は自分の人生の完成の時、もっとも輝かしい時でもあるからだ。

さて冨山氏の本の中で挫折への対処法が述べられている。「いくらもがいても出口のない挫折に直面したら、勇気を持って人生をリセットしてほしい」。私がいつからか、身につけた

リセットの仕方は「このことには意味がある。何を知り、学ぶか、それは今この時しかない。この時でなければ学ぶことのできない人生の真実がある」ということで常に「意味を求める」ことで挫折を乗り越えてきたように思う。

最近浜圭介が作曲した桂銀淑の歌をエンドレス的に聞いている。YOUTUBEで「北空港」を桂と浜が一緒に歌っているのを見て、「アレ?」と思い、浜の経歴をウイキペディアで見てみると、浜は1962年歌手を目指して札幌から上京し、森山加代子の付き人になり、64年牧幸次の芸名でデビューしたが売れずに弘前市に戻り、屋台を引いた。歌手の

道を諦められず69年浜真二に改名して再デビューしたが、結局作曲家に転身、71年に

作曲した「終着駅」が大ヒットして、作曲家としての地歩を固めた。歌手としては挫折した。それも2回。しかし68年に「雨降る街角」を作曲しているところを見ると、歌手でありながら作曲家としての可能性を感じていたのだろう。作曲家になるための努力も重ねていたはずだ。

そして1985年、韓国で桂銀淑を発掘した。

浜圭介がもし挫折することなく、歌手としてソコソコ成功していたら、私たちは「大阪暮色」も「すずめの涙」も聞くことなく、稀代の歌姫桂銀淑の歌にも出会えなかったことだろう。