文字を読むだけでなくコンテクストをイメージする

本を読む時は当然文字を読んでいるわけだが、時として立ち止まってコンテキストをイメージするとコンテクストの世界に入っていくことができる。行間を読むとも言われる。例えば新約聖書の福音書は叙述的で、細かい心理描写は割愛している。福音書を読む者はゆっくり、時には立ち止まりながら、コンテクストをイメージしながら読むことを求められる。私が最近特にコンテクストをイメージしたいと思わされたのはイエスがシモン・ペテロに三度「あなたは私を愛しますか」と聞かれたところだった。この個所は繰り返し読んで、私なりにコンテクストをリアルに再現してみたい。

日頃読むものと言えば、新聞、雑誌の記事、また経営関係の本が多い。コンテクストを意識して、その情況の中に入っていくというケースは殆どない。論理的な思考が発達する?一方で、段々想像力が衰えているのではないかと気がかりだ。

人間関係についても同じことが言えるのではないか。その人の言葉の真意をつかむことが大切だ。人の心の奥底には、自分の傍に居て、見守っていてほしい、自分の手をつかんでいてほしい・・・という気持ちがあるのではないか。

文字を書く場合は、それなりに考えて書くが、言葉の場合はその時の感情がバイアスを加えることが多々ある。言葉通り受け取ってはならない時もあるはずだ。

そのためにも人間研究の本でもある小説を読み、人の多様な心理を、コンテクストを意識しながら読むことが大事ではないだろうか。

今日夏目漱石の小説「こころ」を買った。