日本とドイツ・どこで差が出たのか
戦後70年、ドイツと日本の差がはっきりついてしまった。薄々感じてはいたが1月12日日本経済朝刊の「核心」の平田 育夫氏のコラムを読み、ドイツの強さと日本の弱さを痛感した。平田氏の解説を読みながらドイツ人らしい規律を重んじ、また改革の痛みを恐れない強い意志と実行力を羨ましくさえ思った。特にドイツは25年前東西統一後、経済的に立ち遅れた東ドイツを復興するために300兆円を費やした。その結果経済が低迷し、財政が悪化したが、それを見事乗り越えて、現在1人あたり国内総生産(GDP)は日本より2割多く、財政収支は黒字であり、連邦政府の債務残高対GDP比は欧州連合条約(マーストリヒト基準)に基づき60%を越えないようにコントロールされている。
平田氏によれば大きな差がついた原因は3つある。
1.企業は変化に対応し、企業間の競争激化を乗り越えるため必死に変革を模索した
2.2003年にシュレーダー首相は社会保険負担を含む高い人件費や解雇規制が経営改革を阻んでいるとして、失業保険の給付期間を短くし、健康保険で患者負担を求め、年金給付の伸びを抑えた。さらに社員10名以下の小規模企業での解雇を容易にした。
また株式売却益への法人税を撤廃。これが企業の合併・買収や再編を容易にし、グローバル化や産業構造の変化への対応を助けた。
シュレーダー氏の凄いところは左派、社会民主党の党首であるにもかかわらず支持基盤である労働者に厳しい政策を実行したことだ。
右派のメルケル政権は前任者の路線を引き継ぎ、付加価値税を増税し、法人税を減税して財政改善と競争力強化を進めている。
このような経済政策はケインズ理論をタテに総需要管理に明け暮れる日本と異なりドイツの経済学者ヴァルター・オイケンの「秩序自由主義」「消費者主権の経済」思想の影響を受けている。
3.日本でも改革が叫ばれたが、結局掛け声に終ってしまったが、ドイツは改革を着実に実行した。
私には素朴な疑問が3つある。
(1)何故ドイツで改革が実行できて、日本で実行できなかったのか。
(2)何故日本の政策当局は依然としてケインズ理論を信奉しているのか。この結果毎年赤字国債である建設国債が膨大な金額で発行され続けてきた
(3)ドイツ国民がシュレーダー政権、メルケル政権の政策を受け入れることができたのは何があったからなのか。改革後の見通しについて国民が納得できる説明責任を政府が果たしたのでないか、という疑問である。
これを機会のドイツと日本の比較をいろいろな点でしていかなければと思わされたことだ。
特に国民視点に立って。