日本の里と里山資本主義

 

今日、本屋で「日本の里」と題した写真集を購入した。写真 富田 文雄氏、文は井原俊一氏。カバーの写真は長野県飯田市上村下栗・遠山郷のまるで絵の具で描かれた箱庭のような風景だ。全部で202ページに及ぶ写真集で、見ていて飽きない。井原氏が巻頭で「里の時間」という短いが味わい深い文を書いている。里の時間は不思議なひと時で・・・正体は分からないが、なにかがぽっかり口をあけていた。現在ではない。過去でも未来でもない。古い自分を忘れ、新しい自分を取り戻す。そんな時空が里にはある」この写真集を見る者はぽっかり口をあけている何かを確かめたいという衝動に駆り立てられる。写真集の感想は簡単には表現できないが、里には永遠の時が流れていると言ったら良いのか、さらには自分の魂がそこから出てきてそこに還る、生と死がつながっている輪廻の場、というような感じがする。里には都市とは異なる時空がある。さてエコノミストが「里山資本主義」というようなことを言っているが、里は長年の歴史の中で人間が自然と調和して生きてきた場、人間の努力と知恵が集積されている場とも言える。自然との本来の関係を回復しながら、人間の営みを考え直す時期に来ている現在、里あるいは里山が持っている意味は限りなく大きいと言えよう。残念ながら里の中には限界集落のようなところもあるだろう。また写真には薄化粧が施されている(芸術性)だろうから、いつかこの写真集で撮影された現地に行ってみたい。「体験はどんな良書にもまさる。感性を磨き、創造力をはぐくみ、大観を養う。人と自然が交わる里には、いまも都市にはない生命の源泉がある」