昭和という時代、平成という時代

昭和という時代を歌謡曲、演歌という切り口から見たらどのように見えるのだろうか。このテーマについてはこのブログでも今迄何回か触れてきた。

最近の私は杉本まさとの歌に嵌っている。杉本の歌は歌謡曲とか演歌の部類には入らない、もっと別の世界のようだ。終戦後の昭和の歌謡曲は時代に寄り添い、敗戦から立ち上がろうとする人々の気持ちを励まし、つかの間のロマンチックを感じさせるような歌が多かったように感じる。私の父と母がよく口ずさんでいた歌を今でも思い出す。

さて最近、まさに最近知ったという意味では時代遅れなのだが、私よりも若いが四捨五入してほぼ同世代の杉本の歌を聞きながら、涙を感じることがある。最初に聞いたのが吾亦紅。次は紅い花、忍冬。最近繰り返し聞いているのが、「鮨屋で」。この歌をユーチューブで聞きながら私は阿久 悠の作詞家憲法を思い出した。第4条にこうある。

「そろそろ都市型の生活の中での人間関係に目を向けてもいいのではないか。それは同時に歌的世界と歌的人間像との決別を意味することにならないか」。私は杉本の歌はこの決別、歌的人間像が歌的世界から離れて自立していく姿を描いているように感じられる。それは既に歌というよりもメロディを持った「物語」なのだ。私達は今歌よりも物語を求めているのかもしれない。そして決して楽ではなかった人生を歌手自身も共有しつつ、それを歌声に滲ませて歌っている姿に共感する。以前島津亜矢が「帰らんちゃよか」を歌っているのを何度も聞いたことがある。そしてたまたまこの歌の作詞・作曲を手がけた関島秀樹氏の弾き語りをテレビで見たことがある。関島氏の歌はやや坦々としていた。島津亜矢の歌唱力もあるだろうが、島津の人生経験が偲ばれる声に私は惹かれる。曲、物語、声。一朝一夕には出来ないものだろう。毎晩のように寝る前に杉本の歌を聞きながら、このような歌に出会えた幸せを感じる。私の中のささやかな人生物語が杉本の声にじっと耳を傾けている。「平凡かもしれないが人生っていいもんだな」と呟きながら。