昭和という時代

ちあきなおみの「昭和えれじい」を聞きながら、私が生きた昭和とはどんな時代だったのだろうか、とぼんやり考えている。中村草田男の「降る雪や 明治は遠くなりにけり」は有名な句だが、草田男は明治の何に思いを馳せていたのだろうか。激しく降る雪の白さが恐らく過去が現在であり、現在が過去であるような、その2つの時制が一つになったような感覚を草田男に与えたのではないか。淡々とした調子の句の裏に草田男の狂おしい感情を私は感じずにはいられない。

さてそのような気持ちで私は昭和という時代を思い出すことができるだろうか。昭和は63年間続いた。その中で私の気持ちが向くのは、高度成長期の一見明るい昭和40年代、50年代ではなく、昭和末期だ。経済成長の歪み、綻びが出てきた時期。人々の時代に

対する失望感、挫折感が広がり始めていた。高度成長の傷跡があちらこちらに露出していた。恐らく工業化の経済成長モデルが行き詰まっていたのではないか。私も仕事をしていて何となくだが、今後どうなるのだろうと不安な気持ちになったことを覚えている。

今になって考えてみると、この工業化経済成長モデルで日本の経済は成立つのか、を立ち止まって根本から見直す、いわば踊り場の時ではなかったかと思うが、その直後に発生した不動産バブルで沸き立ってしまい、貴重な時期をむざむざ失ってしまった。そしてバブル崩壊後、日本経済は大きく変質してしまった。現在の日本国の財政状況は同じ敗戦国のドイツと比べると月とすっぽんだ。

「死んだつもりでもう一度 待ってみようか ねぇ お酒 いつか来る春 昭和川」

ちあきの歌を聞きながら少し物狂おしい気持ちになるが、それを静めて一句。

「えれじいや 昭和と共に 去りにけり」