時間を大切にする・何が無駄な時間なのか
今朝たまたまミヒャエル・エンデの「モモ」を拾い読みした。それは時間貯蓄銀行の外交員が来て時間を節約し、時間を貯金する大切さを理髪店の店主に説明するところだ。この外交員の話は話自体としてはオカシイが、結局は「それでは私達は何のために1回しかない人生の時間を使うのか」という問いの地点に私達を連れていく。しばしば私達は「時間を大切に!」と言う。それでは何を基準に無駄な時間と有益な時間と仕分けているのだろうか。私はしないが例えばパチンコに興じている時間は何だろうか。無駄な時間のように思えるが、果たしてそうだろうか。家の周りを散歩する。これはどうだろうか。友人と喫茶店でおしゃべりをする。好きな小説を読む。カフェのテーブルで今日一日のスケジュールをチェックする、あるいは今日の活動を振り返る。新聞を読み、切り抜きをする。部屋の片付けをする。暑さもあり、疲れたので仮眠をする。毎朝前の日の出来事、思ったことを日記に綴る。インターネットでさまざまな記事、ブログなどを読む。夕焼けの空を見ながらぼんやりといろいろなことを漠然と思ったりする。農園の野菜の手入れをする。この場合2~3時間、畑にいる。テレビを見る。ラジオを聴く。・・・私達は一日の中で本当にさまざまなことをしている。そしてそれらのことを次の日にはあらかた忘れている。私は毎日日記をつけているが、書いていると充実していた日とそうでない日があることに気付く。何となく終るという日もある。勿論忙しいということと充実しているということとはイコールではない。
それでは時間を大切にし、自分の時間のクオリティーを上げるためにはどうしたら良いのだろうか。今日、そのことを、夕空をばんやり見上げながら考えていた。
そして私なりに3つの基準を考えてみた。
1.目的にかなった行動、時間の使い方をしているか
2.忙しさと疲労に流されないで、時々立ち止まり、自分の行動の「意味」を理解し、深めているか
3.お金と同じように時間を自分のためだけに使うのではなく、私の隣人のためにも使っているか
そして、この3つの基準をクリアーにし、仕分けを簡単にするための秘訣が一つありそうだ。それは「今自分は自分にとって最高の時を生きている。今が人生で一番いい時なんだ」という自覚だ。今自分がどのような境遇にあってもそう思うことが大事なのだ。この一番いい時、ベストの時を生きているという意識が時間を大切に使うためのモチベーションになるような気がする。「一番いい時なんだから無駄にはできない。」
夕空から木々の梢を優しく揺らしながら微風が2階の私にいる部屋にも吹いてくる。暑い一日だったが、夕べの風はその火照りを冷ましてくれる。そして今日一日を振り返る。