時間管理は思考・行動管理

時間の管理はむずかしい。最近つくづくそう思う。アメリカのベンジャミン・フランクリンは「時はカネなり」と言った。企業に勤務する人達にとっては勤務時間の生産性、具体的成果がそのまま利益に直結する。最近読んだ新聞記事では、時間管理の達人への道(上)のコツの一つとして「空き」見つけ有効活用、が載っていた。空き時間があらかじめ分れば他の予定も加えることができる。時間管理は行動管理で、それぞれの行動にどれだけ価値があるか、そのためにどれだけの時間がかかっているか知ることが必要との指摘もある。

さらに習慣化しているルーティンワークの中に無駄な時間がないか、そのチェックと改善も時間管理に役立つとのことだ。

私は空き時間には気がついたこと、アイデアのメモをとるようにしている。それでいつでもメモ用紙を持ち歩いている。行動管理の場合の価値については何を基準に価値判断をしたら良いのか、考えてみたい。短期的収入の拡大を基準にする、というがまず頭に浮かぶがそれだけでいいのか。ルーティンワークについては確かに指摘の通りだ。私の場合、企画書づくり、説明資料づくりに時間がかかりすぎる。

それと読書の仕方を変えた。最近心がけているのは1冊を30分で読むことを目標にしている。時間が無いと言って全く読まず、積読よりも飛ばし読みでもいい、30分でも読めばなんとなくイメージ、キーワードがつかめる。

昨日「シナリオ 虎の巻」268Pをそのやり方で読んだ。

 

ところで、と考える。確かに「時はカネなり」も分るが半農半Xの身になると「時は命なり」という気持ちが強くなってくる。ゆったりと身の丈のカネで、豊か過ぎず、貧し過ぎない残りの人生を送りたいと思ったりもする。そのためにも自然の中に時々身を置きたい。

金持ちの花も貧しい花もない。それぞれがそれぞれの美しさで花を咲かせている。木々もそうだ。石も。