普通の生き方が大事

 

最近何故か「普通人として普通の生き方をしたい」と家内と話し合うことが多い。いくつかの理由がありそうだ。まず最近読んだ「無私の日本人」の影響かもしれない。穀田十三郎、中根東里、太田垣蓮月の3人の生き方は私にとってあまりにもインパクトがあった。3人のうち、太田垣蓮月は当時の有名人だが、前の2人は無名あるいは忘れられた人だ。そして私の叔父。今年で82歳になるが、この歳まで洋品店を経営し、子供達3人を育て、それぞれ嫁がせて、自分は町内のお祭りなどの会計責任者を長く務めてきた。地元の人達の信頼も篤く、まさに稼ぎと務め、を自然体で45年間以上続けてきたと言っても過言ではない。2月28日に店を閉じた。毎朝起きるとベランダに出て、太陽に向かって祈るとのことだ。父が亡くなった後、私達兄弟にとっては父親代わりの叔父だ。また弟の病気の件で3つの病院のお世話になった。今度で4つ目だが、医師、看護婦、ケースワーカーの人達の話し方、仕事の仕方を見ていると、ありがたいだけなく、思わず頭が下がるような思いがする。大変な仕事に黙々と取り組んでいる。そしてとても親切だ。私達は出世すること、有名になること、金持ちになることを願う。私も若い頃、人並みにそのようになりたいと思った。しかし、今は豊か過ぎず、貧し過ぎず、普通の生活ができる収入があれば充分だ。いや、やや貧しい方が良いのかもしれない。そして自分にできることを一つ一つ堅実にやっていき、小さくても何か実を結ぶ人生にしたい。今嬉しいことは、普通の生き方が大事だということが分りかけてきたということだ。人生を長く生きるといいことが段々増えてくる。