暗闇と光・雲と青空 キリスト教と仏教
キリスト教を象徴的にあらわすのは「光」だ。「光」は救いであり、希望であり、そして神自身でもある。
旧約聖書創世記冒頭にこう書かれている。
「神が『光よ、あれ。』と仰せられた。すると光ができた。神はその光をよしと見られた。
そして神はこの光をやみとを区別された」
新約聖書のヨハネの福音書の冒頭にはこう書かれている。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」
人生の闇の中でもがき、呻いている人は光を求める。闇が深ければ深いほど、そうだ。
一方仏教の世界で仏教のアップデートを提唱している僧侶がいる。山下良道師だ。今年の春頃、NHKEテレの「こころの時代」で山下師が現在に至る迄の修行の話をされていた。
話されていることに興味があったので、早速本を購入した。「青空としての私」。一気に読んだ。最後の部分にこのような呼びかけがある。
「自分を雲と思い込んできたために、この世界は苦しみに満ちていました。今『青空としての私』を発見した我々の前で、希望と喜びにあふれたまったく新しい人生の扉が開かれます。まずは日本から、そして世界に向けてその希望を伝えていきましょう」
この本を読んで、シンキングマインドとかマインドフルネスという言葉に初めて触れた。
2階の書斎から窓の外に広がる青空を見上げる。青空と雲のたとえは具体的で分かりやすい。光と青空・・・。今年はこのテーマについて考え続けた一年だったような気がしてならない。