書くことの不思議さ

書くという行為は不思議だ、と最近改めて思う。例えば、以前時代小説を全部で80話にして書いたが、書く前は何を書いたら良いのか分らずに暫く机の前でボンヤリしていることが多かった。そして最初の2,3行が浮かんでくると段々イメージが膨らみ、登場人物が動き出し、何とか1話を書き上げた・・・この繰り返しだったように思う。ただ一つ気をつけたことがある。それはそれぞれの登場人物が納得してくれるようなストーリー展開にしなければいけない、ということだった。

ブログを書く場合、大事なことは小説の場合は「ストーリー」だが、ブログの場合は「テーマ」だ。そのテーマとして今日は何を選ぶか。そのテーマを決める迄暫く考え込む。そして不思議なことに毎日テーマは与えられる。

日記も毎日書いている。最近日記を書きながら、その日その日の自分の思い、感情を客観的に見て、反省し、ありのままの自分にもう一人の自分が語り掛けるような内容の日記が最近続いている。以前はありのままの自分に失望し、批判し、強く反省を促すようなことを多く書いたが、最近はもう一人の自分も変ってきたようだ。

ありのままの自分「何かイライラする。捉えどころのない焦燥感があるんだ。他の人に対して批判的になっている自分がいる」

もう一人の自分「残された人生の時間は短くなっている。穏やかに、建設的に生きるんだ。」

もう一人の自分がありのままの自分に微笑みかける。

「収穫期が始まっていますよ。丁寧に収穫することです。今までの苦労の結晶なんですからね」

雑談と日々の思いを書くこと。それが私の毎日にとって欠かすことのできないルーティンワークとなっている。