最近のテレビを見て感じること

 

最近気のせいか、民放のテレビ番組を見ていて思うのはCMが多いこと、そしてCMの中に物語性の高いものが出てきたことだ。まず前者、ひどい時はCMの合間にドラマを見ているような気分になる。少し詰め込みすぎではないだろうか。またそのCMにいわゆるお笑い芸人が出てくることも多い。少しへきへきする時がある。インターネット、ソーシアルテクノロジーが出てくる以前はテレビが映像広告をほぼ独占していたのだろうが、現在はそれも崩れ、テレビにとっては厳しい時代になっている。売上が減り、利益が減った分を製作費のコストダウンでカバーしようとすれば、当然番組のクオリティーが劣化する可能性が出てくる。劣化すれば、視聴率は下がっていく。テレビ業界はマイナスのスパイラルに入っているのではないかと想像してしまう。その中で物語性のCMは視聴者にとってはちょっとした気分転換になる。最近ではエネオスのCMに感心した。10秒前後で一つの物語を視聴者に伝えるのは恐らく熟練の技だ。プレゼンとしても優れていると感じさせる。一方NHKはCMがないので、ドラマの流れの中に自分の気持を入れていくことができる。ただ休み時間(CM)がないので少々疲れることもある。さてテレビの最大の特長は映像による事件の速報性だろう。NHKは朝4時半おはよう日本から、ニュースがあり、

午前10時から午後6時迄、毎時間毎に5分のニュースを流している。民放はそれほど小刻みにニュースを流していない。さてこれからのテレビにとって何が番組の柱になっていくのだろうか。民放にとって、NHKにとって共通部分と異なる部分が当然あることだろう。私の大雑把な考えでは民放はサスペンス、NHKは教養番組が柱になっていきそうだ。いや現在既にそうなっているとすると、更にそれに拍車がかかるのではないか。共通部分はニュースと解説の強化。さてここで考えたいのはテレビというのはどのようなビジネスモデルなのか、また今後イノベーションの可能性はあるのか、あるとしたらどのような進化のコースを辿るのか、ということだ。3Dテレビも登場した。しかし、私は思う、私たちはテレビの見すぎではないか。確かにテレビは魔法の箱、どこでもドア的要素を持っている。しかし、いまや私自身、テレビに飽きる時代が始まって、現在進行中だ。切り取られた映像をあまり信用してはいけない。テレビ中毒からお互い抜け出そう。世の中というもっとリアルで面白い、インチレベルでない大きな画像を見よう。テレビを賢く見ることが求められている。私達の日々の時間には限りがある。