杉下右京の「真実」について

最近見た人気番組の「相棒」を見て感じたことがあった。それは「真実」とは何か、そして真実はどのような力を持っているか、改めて考えたことである。「真実」を追究していく杉下に対し、相棒の甲斐亨は途中から疑問を感じる。なぜなら「真実」が関係する人々を辛い状況に追い込んでいくからだ。そこまでして「真実」を求めなければならないのか、これはある意味では素朴な人間的感情でもある。甲斐亨は私達の一般的感情をある意味で代弁している。私達も時に言うことがある。「それは見て見ぬ振りをしておこう、無かったことにしよう、墓場まで持っていこう、何もそこまで追い詰めなくても、傷つけることは避けたい・・・」などと。惻隠の情などという言葉もある。一方自分の利害のために「真実」を隠蔽しようという人もいる。それは甲斐亨の父親で警察庁次長の甲斐峯秋だ。権力を使って「真実」を闇に葬ろうとする。この親子の対極的な「真実」に対する否定的対応の中で、杉下は「真実」と同時に「真実」を裏付ける証拠を探していく。そしてそれを見つける。甲斐亨は死刑囚の娘の感謝の言葉に、「真実」が、人間が抱える根本的問題の解決、さらには救いにつながるものであることを知る。一方司法取引を画策している父親の甲斐峯秋は一歩後退だ。顔を歪めながら杉下に負け惜しみを言う。「君は面白い男だね」。杉下は警察官は「真実」を求めるために、ある時は「非情さ」を持たなければならないことを身を持って甲斐峯秋の息子に教えたのだ。