欅風を書き終えて
時代小説、「江戸詰め侍青物栽培帖」を書きおえた。5年がかりの作品だ。A4で200枚を越すボリュームになった。途中なんども執筆を中断した。仕事が忙しかったこととか、何をどう書いたらよいのか分らなくなってしまったことがあった。30話ぐらいまで書いて中断していた時、夢の中に主人公たちが現れたこともあった。その時からか、書いている自分には小説の中に登場している人たちそれぞれの人生に責任がある、と思うようになった。言い換えると登場人物一人一人が納得するようなストーリーにしなければならない、ということだ。この小説を書きはじめる時、副題に「欅風」とつけた。5年前、私はこのように書いた。
「大坂夏の陣を以って戦国の世が終わりを告げ、徳川家康は年号を元和(1615)と名づけ、名実共に太平の時代が始まりました。翌年家康は75歳で没し、慶長10年(1605)から二代将軍となっていた秀忠は将軍親政を開始、幕藩体制の強化に乗り出しました。これからどのようなことが起こるのか、人々は期待よりも不安に鷲づかみにされていたのではないでしょうか。
小説「欅風」はそのような時代に生きた人々を主人公にしています。この小説を通して、その時代に生きた人々の心の中の思い、息遣い、眼差し、人と人とをつなぐ確かなものに少しでも迫りたいと考えています。
この小説の構想は元々江戸時代の江戸の地産地消モデルを現代において再生させるところにありました。正確には再生というよりも温故知新です。江戸を中心その時代全体の中で地産地消を位置づけ直していくうちに、いつの間にか小説の世界が広がっていきました。
全部で80話となります。
どこか現代に通じるものがありそうです。しかし一方で現代の人々が失ってしまったものもあるかもしれません。それも一緒に考えたいというのがこの小説のモチーフとなっています」
初心をどこまで貫き、また具体化できたかは私自身も本当のところは分からない。そして最後に(完)と書いた時、思ったことは「振り返れば随分遠くまで来たものだ。登場人物たちが私をここまで連れてきてくれた」
執筆が終ったということは登場人物と別れるということでもある。私の知らない世界でそれぞれ時代の烈風を受けながらも勁草のように生きていってくれるに違いない。