歌は世に連れ
私の父が好きだった歌がある。一つは「緑の地平線」。もう一つは「ベッサメムーチョ」。父がなぜこの2つの歌が好きだったのか、理由を聞いたことはなかった。謹厳実直、ちょっと軍人風の父がそんなロマンチックな歌を好んだのは意外でもあった。父が亡くなった後、私も父を思い出す時、「緑の地平線」を歌うようになった。楠木繁夫の歌声をパソコンで聞く。SPレコードの音だ。ところで「緑の地平線」をカバーして歌っている歌手の歌をいくつか聞いたが、私が一番気にいったのはちあきなおみだった。彼女の声はまさに大人の女性の声で、聞いていると遠く迄連れていかれそうな気分になる。ちあきなおみの歌のうまさに思わず他の歌も聞いている。私的には桂銀淑からちあきなおみだ。
さて今晩テレビ東京で「昭和の名曲特集」をやっていた。思うことは歌謡曲はやはりその時代の人々の心、特に深層心理を映し出しているのではないかという当り前の感想だ。あるいは私達はこんな時代を生きてきたという現在完了形のメッセージを伝えているのではないか。島倉千代子の「東京だよ おっかさん」、若山彰の「喜びも悲しみも幾年月」を聞いているとそんな気になる。
青年時代はモダンジャズとシャンソンとタンゴだった。ライブのシャンソンを聞きたくて銀座の「銀巴里」に度々通った。中年期からは歌謡曲というか演歌だった。仕事が終った後カラオケに行って仲間と歌った。そして中年期からシニアになって演歌の他に民族音楽が自分の気持ちに寄り添うようになってきた。民族音楽に初めて触れたのは青年時代。ハンガリーのブダペストのレストランというか酒場だった。ジプシー音楽。チターの伴奏で聞く歌声は何か民族の運命というか、地霊の叫び声を聞いているかのような強烈な印象を私に与えた。そして現在はポルトガルのファドにずっとはまっている。
父に倣って、私の好きな演歌を2つ挙げると、現在のところは「新宿みなと町」(歌 森進一)と「大阪暮色」(歌 桂銀淑)。生きることの大変さとだからこそ大切にしたい挫折を経験した優しさを感じる。