歌謡曲だよ、人生は

 

三代目コロムビアローズ・野村未奈の歌をJCOMテレビで聞いた。「深川ブルース」そして新曲、「かがり火恋歌」。隣のお姉さんという雰囲気の歌手だ。歌の力に感動して、歌手の道を歩むことになった、と話していた。三代目を名乗るからには歌唱力も高いのだろう。野村未奈の歌を聞きながら、私は初代のコロムビアローズのことを思い出していた。「東京のバスガール」「どうせ拾った恋だもの」は今でも私の記憶に残っている。母はコロムビアローズの歌が好きだった。ラジオから歌声が流れると耳をつけるようにして聞いていた。白黒テレビの時代になり、コロムビアローズがよくテレビに出ていた。母がどんな気持でコロムビアローズを聞いていたのか、子供の私には分からなかった。母は初代のコロムビアローズが好きだったが、二代目はあまり好きではなかったようで、大津美子、織井茂子の歌を好んで聞いていたが、母が歌った姿は見たことはなかった。そして父。父は歌が上手かったようだ。直接聞いたことは無かったが、兄弟の集まりではよく歌っていた、と叔父から聞いたことがある。好きな歌は「緑の地平線」「ベッサメ・ムーチョ」。会社を経営していたが、ある時村田英雄の「王将」のレコードを買ってきて、繰り返し繰り返し、聞いていた。部屋に入ってみると目を瞑って「吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を笑わば笑え・・・」と呻くように歌っていた。「きっと会社の経営が大変なんだろうな」高校1年生の私は中小企業の会社経営とはどんなものか、おぼろげながらにもその大変さを感じ初めていた。当時父は会社経営で頭が一杯ということもあり、母は4人の子供を育てながらも、寂しかったようだ。後年、母から聞いた話だが、母が今日一日のことを話すと、母の言葉だが、「お父さんは『それがいったい自分に何の関係があるのか』って言ったのよ。」私は白黒テレビで、藤島恒夫の「月の法善寺横町」フランク永井の「有楽町で逢いましょう」を好んで聞いていた。今思い返してみると、歌謡曲が日々の生活の中にもっと身近に流れていたように思う。既に両親は他界した。父が愛唱していた「緑の地平線」母が好きだった大津美子の「ここに幸あり」「東京アンナ」を歌う時、自分は、父のことも母のこともよく知らなかった、との思いが胸にこみ上げてくる。だからこそ、わが心のうた、なのだろう。