歴史から学ぶことは現在を見詰めること
戦後68年。今日本は大きな転換期に来ている。ポイントはいくつかあると思う。私なりにいくつか挙げてみたい。
1.廃墟からの経済復興、国の経済的再建が戦後日本の最大の目標となった。その結果として経済第一主義、経済成長の神話をつくりだした。経済成長がすべての問題を解決し、国民に幸せをもたらす。
2.戦後民主主義は人々を戦前の国粋主義から開放した。この民主主義はアメリカが日本に持ち込んだ。国民主権、天皇は象徴の平和憲法が制定された。
3.米ソの冷戦構造の中で、日本は日米安全保障条約の下、アメリカの軍事支配圏に入った。この結果、国際外交はアメリカ追随型となり、主体的外交能力が劣化してしまった。外交は場数と経験だ。これから取り戻すのは大変だ。
4.戦後復興は重化学産業の復興から始まり、その後インフラ整備が続いた。建設国債(赤字国債)が次々と発行され、均衡予算方式は放棄された。赤字国債は経済成長という担保があったので、容認されたのかもしれない。
5.井沢八郎の「ああ、上野駅」に象徴されるように、農村の中卒の子供達が大量生産向上の働き手として、農村から大量に都市に吸い上げられた。
6.農協が独禁法の対象外の組織・団体として、農村地域を良くも悪くも支配、自民党政権維持のための大票田となった。
7.高度成長時代、残業が常態化した。私も午後11時頃迄仕事をしていた。残業代が支払われるようになり、残業時間の制限、残業の許可制も行なわれたが、残業そのものは無くならなかった。これはオフィスの一つの慣習、掟だったかもしれない。課の皆が仕事をしている時に、自分だけ仕事が終ったからと一人帰る訳にはいかない。
8.考え方もある意味ではシンプルだった。一生懸命働けば、それなりに報われる。会社の中でも、上司も私のそう考えることができた。会社に就職することは当時は永年雇用で、よほどのヘマをしない限り、サラリーマン生活を続けることができると夢想した。会社はある意味で家族的、共同体的でもあった。現在はそうではないだろう。
9.サラリーマン生活の方が安定しており、勤務時間も決まっている、ということで農家の長男が農協の職員になったり、自営業の子弟がサラリーマンになったりで、日本社会のサラリーマン化が進んだ。日本社会で中産階級が形成され、その後の日本にとって大きな消費市場となった。
10.歴史観は進歩史観が優勢を占め、古いものに対する評価は低下していった。そこでは日本的なるものが失われていった。その最たるものは、日本的人間関係の美風と自然との共生的関係ではないだろうか。
現在、私達は踊り場に立っている。これから階段を昇るためには、失われてはならないものを回復し、これからの歩みに活かすことだ。現代世界は国に対しても、個人に対しても普遍性と同時にオリジナリティに立った貢献を求めている。古いものはオリジナリティにとって欠かすことのできない要素ではないだろうか。邯鄲の夢から醒める時なのだ。