毎日ブログを書くことは修行なのかもしれない

 

昨年の7月から毎日ブログを2本書いている。最初は200字に限定してスタートした。毎日書く場合、200字ぐらいにした方が続けられそうだと思ったからだ。200字にまとめるためには、何を書きたいのか、整理して余計なものは省かなければならない。そのためには推敲が欠かせない。これはこれで勉強になったが、途中からあまり字数を気にしないで自由に書きたいと思うようになった。ということで字数は500字前後に増えた。ブログを書くのは読んでくださる方達にとって、何か一つでもお役に立つような情報を伝えたいということもあるが、もう一方で自分にとっては何かに気付き、何かを考える機会でもある。毎日の忙しさの中で流されてしまう自分がいる。そのような状態では自分の中に残るものが少ない。いや徒労感が残るかもしれない。何かに気付き、意味を考え、自分の経験にすることによって、徒労感を克服しようとしているのかもしれない。徒労感、空虚感は人生の折々に襲ってくる。「何のためにこんなことをしている。これをやったからと言って何になる。そして究極の問い。自分の人生はなんなのだ」。私達はいくつになっても迷いと問いと模索の中にいるのではないだろうか。中国で道元に禅の真髄を教えた中国人の典座は、道元にとって修行の転機を与えた。人間はいつも問いの中に立っている。問うことで答えを得ようとする。毎日ブログを書きながら思うことがある。今日自分は何をしたのか、何を考えたのか、何を見たのか。書くという行為は不思議だ。書きながら問いに対する答えのようなものを発見していく。書くという行為は自分の世界を耕し、外界に対する関わりを耕しているのかもしれない。そしていつも未知の畑を耕しているような気がする。毎日毎日何かを続けるということは確かに口で言うほど簡単なことではないが、目の前に広がっている畑を一旦見てしまうともうやめるわけにはいかない。疲れた時、忙しい時、気分が落ち込んでいる時などは、なかなか書けないが、いつまでも休んでいるわけにはいかない。2本のブログ、「野菜栽培奮闘記」「ビジネスモデル徒然草」を毎日書くことによって、私は自分の世界を耕している。その土地で何が生長し、花を咲かせ、実をつけるか、今は分からない。しかし、耕し続け、一歩一歩前に向かって進んでいけば、きっと何かがある日見えてくるだろう。毎日ブログを書くことは修行なのかもしれない、と思う。