江戸時代、明治維新の人々から学ぶ

磯田 道史氏の「日本人の叡智」を読み終わった。深い感動が全身を包んでいるように感じる。よくぞ磯田氏はこれらの金言、宝言を発掘してくれた。それが今の私の気持だ。私が特に感銘を受けるのは江戸人の凄さだ。例えば日柳燕石(1817~1868)。磯田氏は燕石の次の言葉を紹介している。

嗚呼、大地はもと是れ一毬たるのみ。区別あに封境を限るべけんや。我は願う。五州を混ぜて一と為さんことを。燕石は市井の博徒だ。その博徒がこのように言う。磯田氏は言う。「この国の江戸という時代は民間の教養を恐るべき高みにまで押し上げた時代で、わたくしたちはその遺産で生きている」と。江戸時代、和算の塾が日本全国にあり、関孝和は和算でサラスの公式を世界で最初に発見している。庶民は算数の問題を解く魅力、楽しさを味わっていた。剣術ならぬ和算の道場荒らしも有ったと言う。江戸時代、各藩は十割自治の体制のもと、徳川幕府からは現在のような地方交付金を貰えないどころか、土木普請、参勤交代などさまざまな財政的負担を求められた。各藩では藩を経済的に守るためいわゆる「経済官僚的」人材、合理的思考が重視されたのは当然であろう。武士道を倫理規範とする武士階級だけでなく、町人も懐古堂という現在に言えば経営セミナーを始め、商人の倫理的規範づくりに務めた。明治の実業家では、山路愛山の言葉が胸に響く。

実業家宜しく歴史を読むべし。

山路は表面上の形式の背後にある本質を抽出する読書を求めた。まだまだ他にも取り上げたい人物はそれこそ枚挙に暇がないほど大勢いるが、総じて胸に残るのは「無私の清清しさとその物凄さ」である。磯田氏のこの本に出遭えたことを本当に嬉しく、ありがたく思っている。現在連載中の時代小説「欅風」執筆にとっても大きな励ましとなった。