深江 浩さんの本との出合い・京都今出川通りの古本屋で

島根県、新大阪での仕事を終えて、自分に対するささやかなご褒美を兼ねて京都に立ち寄った。銀閣寺に行くのが目的で、駅のロッカーに荷物を預けて手ぶらで地下鉄烏丸線に乗り、今出川駅で降りた。京都御所跡を右手に見て今出川通りを歩く。前回の時もそうだったが、銀閣寺までは相当歩く。45分ぐらいだろうか。久しぶりの京都なので、ままよ、散歩がてら今出川通りを歩いていった。途中で昼食を取ろうとしたが適当な店がないので、そのまま歩いた。京都大学の前迄来た時、吉岡書店というチョット雰囲気のある古本屋があった。何げなく店の外の箱に入っている本を見ていたら、懐かしい名前が目に飛び込んできた。私は若い頃、ハンガリーの哲学者、ジェルジ・ルカーチの思想に惹かれ、彼の代表的著作「歴史と階級意識」を読んだ。私は哲学・思想からルカーチの弁証法に関心を寄せたが、ある方の紹介でルカーチの文学理論を研究している方を紹介して頂いた。その方が深江浩さんだった。深江さんは夏目漱石の小説をルカーチの文学理論を手がかりとしながら研究しておられた。「あしかび」という同人誌の同人で、同誌に漱石研究を掲載されていた。

当時深江さんは大阪の北野高校の教師で、私は十三の駅を降りて北野高校に先生を訪ねていった。その日は四条川原町の名曲喫茶「ルーチェ」に連れていって頂き、お話をいろいろと伺った。その中でも忘れられない話の一つは、市井の研究者の厳しさだった。

仕事を終えて帰宅して、夕食を奥さんとした後、自分の書斎に閉じこもり研究に打ち込んだが、戸の向うで奥さんが泣いている声が聞こえた、と辛そうに話された。家族との団欒の一時も惜しんで、夏目漱石研究の没頭されたのだろう。

その先生の集大成とも言える本が目の前にあった。「漱石長編小説の世界」桜楓社 昭和56年10月5日 発行、だ。

先生とは暫く文通をしていたが、私自身仕事が忙しくなり、ルカーチからは離れてしまい、

深江先生ともその後没交渉となったしまった。そのため先生がその後京都薬科大学教授になられたことを存じ上げなかった。本を見ながら、懐かしい気持ちと同時に申し訳ない思いが湧き上がり、涙が出てきそうだった。

早速深江先生の本を買って、近くの中華料理店に入り、食事を注文した後、早速読み始めた。食事の後、今出川通りを歩き、銀閣寺に行くのを止めて、紅葉の吉田山に登った。山頂の東屋で暫く、思い出に耽った。

先生はその後も漱石研究を続け、大学の教授になられ、魂の結晶のような本を世に出された。その本が今私の手にあるとは・・・。