演歌を聞きながら昼食

行き付けの中華料理店で昼食をとった。店内には演歌がBGMで流れている。「氷雨」だ。次は「津軽海峡冬景色」。料理が届いた時には「舟歌」。食べ始めたら「さざんかの花」。そして「くちなしの花」と続く。聞くともなしに聞いているうちに、ちょっと不思議な気持になってきた。演歌は夜聞くことが多い。詞にも曲にも陰影があり、夜聞いたり歌ったりするとその陰影が一層濃くなるような気がするが、白日の光の中で聞くとその陰影が消えて歌の主人公が思いがけず現れるような感じだ。5曲聴いた印象では孤独に耐え、耐え続ける決意をしながら、思い出に生きる女性達の姿が見えてきた。歌は私の心の中に眠っていた記憶達を呼び覚ます。私はいつの間にか涙を流していた。それにしても阿久 悠は凄い。もし阿久がいなかったら昭和、平成の時代はどんなにか寂しかったことだろう。私は日本の演歌を時々ポルトガルの演歌、ファドと比較することがある。またシャンソンとも。歌の主人公と私との関係はどのようになっているのか。感情移入できる場合とそうでない場合は何が違うのか。若い頃、ハンガリーのブダペストにいた。その時、ジプシー音楽をよく聞いた。私が好きだったのはキッシュ・ラーニュ(小さな娘)という歌だった。歌声はまるで地霊が歌っているようだった。地から湧いてくるような歌。なぜ神は人に歌を与えたのか。これは私の人生のテーマの一つだ。