演歌・ 時代と向き合い、対峙するビジネスモデル

 

昨日神保町に行った後、歩いて御茶ノ水駅に向かう途中、ふと思いついて明大の地下にある阿久 悠記念館を訪ずれた。今回は阿久 悠がつけていた日記を見た。時代と向き合い、時代から吹いてくる見えない風を全身で受けとめ、作詞というカタチで時代に応答し、対峙していこうとする迫力、殆ど格闘技と表現しても良いくらいの姿勢に圧倒された。その後、こころを鎮めたいという気持ちで、備え付けのパソコンで阿久 悠の歌を聞いた。いくつかの歌を聞いた。今回都はるみが歌った「北の宿」が私の琴線に触れてきた。セーターを編んでいる女性の後姿をすぐ傍らで見ているような不思議な気持に包まれた。阿久の歌に限らず、その時代に歌われ、そしてヒットした歌は確実にその時代の核心に、矢が的に向かって飛んでいくように、射込まれていく。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という言葉があるが、阿久 悠の最大の功績はその時代に生きる大衆の心の波頭を鮮やかにカタチにし、叙情に流れず、クールさ(かっこよさ)を表現したことではないか。そして作詞を読むと、言葉の一歩手前で動いている感情を、言葉の世界に独特の手つきで引きだしてくる名人技。私はそれを岩崎宏美の「思秋期」を聞きながら感じた。まさに手錬れの技だ。ビジネスモデルをデザインし、プロデュースしている者として阿久 悠から学ぶことは多い。ビジネスモデルデザイナーも今という時代、もう近く迄来ている未来という時代に全身全霊で向き合い、対峙することが求められる。私は阿久悠のような5000曲も書いた超人でもなければ怪物でもないが、阿久の時代と向き合った凄まじさと清清しさから少しでも学びたいと思う。記念館を出ると空は夕暮れ色だった。