潜在能力・60歳からの自己発見

加島祥造氏の「老子までの道」(朝日文庫)に次のような文章がある。「自分の好きなことをする―これは自己中心の行為ではない、と私は思うのです。人がほんとに深くから面白がってするとき、それは自分のなかの潜在能力に動かされています。・・・社会人である自分の奥に、潜在能力があり、それこそ「自分」の中のずっと大切な部分なのです」

「老子のタオ(道)とは、社会人である私たちの底に貫き流れている生命エナジーです。それにつながる人間の潜在能力は、地下水のように、見えないけれども大きな力です」

この後で加島氏は2つの点を強調する。

1.潜在能力とはタオと同じように、とても神秘的な働き方をするものであり、だから

私たちはこれを、信じるほかない

2.潜在的可能性は、未来のことではなく、今ここに、あなたのなかに「生きている」

私達は誰しも自分に相応しい生き方を求めている。加島氏は潜在能力を大事にし、潜在能力に導かれて生きる時、本当にその人らしい生き方をすることができる、と言う。私は若い頃、森有正の「バビロンのほとり」などを読んで「内的促し」という言葉に惹かれた。そして29歳の時、サラリーマン生活を一時中断して、東欧のハンガリーに向った。それは私なりの内的促しによる決断、行動だった。しかし、60歳になるまで、私は結果的には内的促し、潜在能力を抑える形で生きてきたように思う。生活していかなければならない。家族を養うためには収入を確保しなければならない。収入を得るためには仕事をしなければならない。そして60歳台になって、それも後半になって、もう一度内的促し、潜在能力を大切にする生き方をしてみたいと思った。しかし、潜在能力を地下水に例えるなら、ずっと長いこと、汲み上げて来なかったので、汲み上げ方を忘れていた。・・・いや汲み上げ方も潜在能力が教えてくれるものなのだ。

自分の好きなことをやる。私にとっては農業とビジネスモデルをつくること。それが好きなことで、本当に好きなことをやっていると自分のことなど意識しない。それが楽しい、ということかもしれない。