猪瀬知事の辞任に思う

 

猪瀬知事が辞職した。史上最高の得票で都知事に就任し、東京オリンピックの招致にも成功し、それこそ得意の絶頂から、政治と金の問題でアッという間の転落した姿を見ると人生のはかなさ、それこそ平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の音・・・」を思い出す。猪瀬知事はある意味で「猛き人」だったのかもしれない。辞職の弁で自分のことを「政治的アマチュア」と卑下してみせたが、恐らく実態は東京電力病院を徳州会病院にするという取引があったのではないかと思う。もしそうであれば、贈収賄が成立し、猪瀬知事は公職選挙法に抵触し、罪に問われることになる。それを避けるためにバカな個人が不用意に親切な人から相手の狙いを知らずにお金を借りた(あるいは貰った)という見え透いたストーリーを作ったのではないか。しかし、このストーリーは社会的には通用しないだろう。猪瀬知事は3つの誤りを犯したのではないかと私は思う。

1.東電病院の売却を強要した猪瀬副知事は自分の持っている予想以上の権力にどこかで酔い痴れてしまった

2.権力を持っているものにいろいろな人が思惑を持って近づいてくる。その中には危険な人もいる。それを見きわめる行政責任者としての常識的判断力を持っていなかった3.周りに相談できる信頼できるアドバイザーがいなかった

5000万円を運んだとされるカバンを持ってきて、実際に入ると実演している猪瀬知事を見ていて哀れを感じた。

猪瀬知事にリスクマネジメントの意識があれば以下のような答え方もあったのではないか。

「東電病院の売却決定の後、徳州会からアプローチがありました。入札の件で特に便宜を図ってほしいという話はなかったが、その後の都知事選挙のために資金面で応援したいと申し出があり、5000万円を借りた。これを選挙資金収支報告書に書くべきであったが、私の判断で載せなかった。これは私の責任であり、罪に問われてもいたし方ない。自分は政治的にアマチュアであった」と。

それにしても人は生きていかなければならない。晩節を汚すとは自分の今迄の人生の意味とか価値を損ない、失うことでもある。自分には価値がない、そう思いながら、また周りからのそう思われながら生きる残りの人生は厳しすぎる。自分の社会人としての幼稚さとか愚かさを罪を逃れるために前面に出したのいはどうもいただけないところだ。人は年老いれば老いる程潔くしなければならない。猪瀬知事の出処進退から思わされることである。